私の3.11の記憶。これからの地震に備えるために

地震

今回は私の2011年3月11日どう過ごしたのかをお話しさせていただきます。

3.11とは?

日本人の誰もが知っている、2011年3月11日の東日本大震災。

当時、私は25歳でしたが、人生でこんなに大きな地震を体験したことがなく、地震だと気づいたのは地震が終わってからでした。

その日の流れ

いつも通り仕事に出勤したら地震に

いつも通り、仕事に出勤し、午前中の仕事も終わって少し眠たいかなと思っていた頃、急に地面が動きました。当時、私はビルの10階にいたため、地上にいる人よりも揺れたのかもしれません。

同期の男の子が、冷静に神棚の榊が落ちそうなのをみて、下ろしていたのを覚えています。

私も事務所のドアが開かなくなってしまって逃げ遅れることを考え、ドアを開けました。

そうしたら、隣の部屋にいた女性2人も出てきました。

そこで、かなり大きな揺れになり、身動きもできないほど。

知らない女性2人と私、3人でとにかく怖くて身構えていました。

しばらくして、地震がおさまりました。

意外とその建物の被害は少ないようでした。

しかし、エレベーターは使えず、階段で1階までおりました。

避難する人は意外と少ない

あんなに大きな地震でありながら、意外と避難する人は少なかったんで驚きました。

地震があった後も、通常通り仕事している人もいるんですよね。

帰宅

電話も繋がらない状態でしたが、とにかく家に帰宅しようということになりました。

幸い、私は職場から家まで約10km歩けないこともない?距離でした。

まさか、歩いて帰ることになるとは思っていなかったので、ヒールでした。

会社にコンパクトな靴を常備しておくとよかったなと思いました。

休みの人が出勤!

そんなこんなで、帰ろうとしていたころ、会社でお休みをしていた人が、みんなが困っているだろうからということで、車でお迎えに来てくれました。

スーパーヒーローですね!

みんなを手分けして家まで送ってくれました。

家に帰ってみると…

さぞかし、家の中はぐちゃぐちゃになっているのだろうと不安な気持ちで家に入ってみると、棚の上に置いていた紙が1枚落ちているだけ。何も被害はありませんでした。

家が鉄筋コンクリートだったのでよかったのでしょうか。

ただ、家から3キロほど離れた木造住宅の友達の家は家具が倒れたりしたそうです。

やっぱり、木造住宅のかたは特に防災対策はしっかりしておくべきかと思います。

その後…

その後、計画停電という、一時的に電力を使うことができないことが頻繁にありました。

その時間帯は、道路の街灯も消えてしまい、家の電気も使えず、とても不便な思いをしました。

そういうときのために、やっぱりポータブル電源があるととても便利ですね。

10年経って…

3.11から10年半経とうといていますが、当時の記憶は徐々に消えてしまっていて、当時の災害の怖さが日に日に薄くなっているのを感じています。

私は当時は東京都に住んでいましたが、とても怖い思いをしました。

近々来るだろうといわれている、南海トラフ地震や首都直下型地震などに対して、少しでもできる範囲で備えをしていきたいと改めて思っています。

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